(私自身の独自研究です)
岩国城には、
山頂要害としてのお城とは別に、麓の居館(お土居)が存在していました。
三方を堀に囲まれた、陣屋のようなエリア。
その堀の角、ロープウェイ乗り場に近い位置に「錦雲閣」が建っていますが、
そこには幕末まで「御三階櫓」 (南矢倉/南櫓)が建っていました。おそらくお土居で最大の象徴的櫓。この建物はすでに失われ、写真も無さそうです。 そこで今回私は、
※南蛮造り:下階より上階が張り出す造りで城郭においては希少 岩国城天守は四階と六階が張り出す二重の南蛮造り
⚫︎自作復元図+AI補助による写実化
という工程で、「もし今も残っていたなら、きっとこう見えていたはず」という姿を形にすることを試みました。これは断言ではなく、私個人の内にある“ロマン”の共有です。しかし同時に、できる範囲で史料と現地根拠に基づいた私なりの再現作業でもあります。それがこちら。
元朝登城之図では三階は全部雨戸(おそらく)で覆われていたので、それに倣いました。雨戸を開けたら望楼の手摺りがあるのかな? 描画にあたって南蛮造りのデザインを取り入れてみたので、岩国城天守との共通性のように見えて嬉しいです。 (二層:屋根の数 三階:フロア数)
また、元朝登城之図で左上に描かれている「西櫓」ですが、閲覧するとこちらは一見三層に見えますが、よく見ると一層目に見えそうなものは「塀」。その向こうに西櫓台の石垣が描かれています。よってこれは二層の建築の描写でしょう。
そしてこちらの櫓には張り出しがなく、二層二階と私は見ます。
南櫓(左下)が二階建てにも見えるけど「御三階」。
西櫓(左上)が三階建てにも見えるけど「御二階」。
でしょう。ややこしいけど(笑)



元朝登城之図は、元岩国藩士で絵師の岸雪江さんが、晩年(明治16年)に描いた作品です。
廃藩置県以前、藩の居館を詳細に描くことは憚られたはずでした。
それでも、絵師の眼には細部まで焼き付けられていたのでしょう。
後に自由に描ける時代が来て、失われた御城の記憶を一枚に込めた——
そんなロマンを、私はこの絵図から感じます。
こういったことを調べていると本当に楽しいです。あくまで個人による独自研究レベルですが、岩国の城に宿る記憶と、そこに確かにあったはずの建物の存在を、少しでも感じてもらえたら嬉しいです。
追記
二階と三階を少し小さくデザインし直し雨戸を開けたバージョン、を作りました。

おまけ
御三階櫓望楼からの錦帯橋方面の眺めの想像図(AI利用)

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